大洲城
おおずじょう

(愛媛県大洲市)
最終更新日:2011.9.19

地図

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<2011.9.19記>
最初に訪れたのは中学生の頃。自分で企画していいよ、と言われて、父と二人の四国旅行を、お城で埋め尽くしました。大洲城もその際に初訪問を果たしているのですが、なにしろ夏休みのこと。とにかく暑くて。しかも駅から城まで歩いて行ったので、とにかく暑くて暑くて。そんな中、川を渡って城下町に入って、最初に目に入ったのが、
「氷」
の文字(笑)。迷わず店に入り、かき氷を注文。いやこのかき氷の美味しかったこと。
1980年代の大洲城は、まだ本丸に多くの木が生えていて、天守もなくて、小天守と高欄櫓が別々に存在していました。何しろとっても地味だった記憶があります。城下町からお城まで、特段の境界線もなくそのまま入れてしまうことも、地味さ加減に拍車をかけていたのかもしれません。
二度目の訪問は、妻子を連れての家族旅行。前日に温泉旅館で握ってもらった鯛めしのおにぎりを頬張りながら、一路大洲へと向かいました。今度は天守も建っていて、本丸の木は綺麗に取り払われていて。でもやっぱり印象は、地味。このお城、どうしてこんなに地味なのでしょう。
Data
ランク 「100名城」「100選」「百選」「愛媛県3位」
天守(再建)、櫓(現存)、石垣
創築:元徳3(1331)年、宇都宮豊房、改築:慶長14(1609)年、脇坂安治
戸田氏、藤堂氏、脇坂氏、加藤氏(大洲藩、60000石)
もともとは伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって鎌倉時代末期に築かれた地蔵ヶ岳城が前身です。安土桃山時代になって、豊臣秀吉の直臣であった戸田勝隆がこの地に入ったのが近世大洲城の初まりで、その後宇和島に入った藤堂高虎の支城となり、更には脇坂安治が大洲藩主となるにあたって、大洲城の全体が完成したと言われています。脇坂氏のあとを受けたのが、加藤貞泰。この加藤氏は清正でも嘉明でもなく、いわば第3の加藤氏ですが、加藤光泰、貞泰の親子は政治的能力には長けていたようで、美濃黒野藩主だった時代に治水をうまくやり過ぎて、対岸の加納藩・奥平氏からこっぴどく叱られたという話もあるくらいです。その貞泰の代に近世城郭としての大洲城は完成し、以後江戸時代を通じて加藤氏が代々跡を継ぎました。
お城は地蔵ヶ岳と呼ばれた小高い丘を中心に、城下町に大きな堀を掘って船着き場を兼ねさせるという、実用本位のお城として築かれました。四層の天守があったことでも知られています。現存する本丸の二つの櫓(台所櫓=小天守と高欄櫓)の他、城下にふたつの櫓が残っています。これらはみな国の重要文化財に指定されています。





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