伊予松山城
いよまつやまじょう

(愛媛県松山市)
最終更新日:2011.8.28

地図

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<2011.8.28記>
中学生の頃、父と二人で四国旅行に連れて行ってもらい、その時に松山城にも訪れました。ところが今思い出してみても、松山城についての思い出が少ないような気がします。同じ旅行で訪ねたはずの丸亀城や高知城、宇和島城や大洲城のことは比較的しっかり覚えているのですが・・・。覚えているのは、松山の女子学生の制服が紺ではなくて、ずいぶん明るいカラーだったということくらい。そんな色の制服を郷里・静岡では見たことがなかったので、変なところで「日本は広いな」と感じたことだけは覚えています。
時は下って、今度は妻と息子を連れて道後温泉に行くことになりました。目玉はやっぱり松山城。行ってみると、ああ、そうだ。登り口にはリフトとロープウェイがあったんだ、とか、細かいところを色々思い出しました。「リフトに乗りたい」と主張する息子に、「一人乗りリフトだと、君が落っこちないように支えてあげられないのだ」と説得し、ロープウェイを選びました。そのせいか、息子はどうも不機嫌に。仕方がないので「帰りはリフトにしような。」と声をかけ、その結果、行程上、二の丸と登り石垣を見ることができなくなった・・・というのは、ここだけの話。
それにしても、お城としては名城中の名城で、石垣も建物群も縄張りも、姫路城や熊本城に匹敵するほどのスケールと技巧を誇っているのに、印象が薄いのはなぜなのでしょう?名城の人気投票でも意外と順位が伸びないのがいつも不思議で、そのくせ確かに自分の記憶の中でも印象が薄いのが、どうにも不思議です。現地では確かに、「おお」とか「わあ」とか言いながら、あれこれ眺めているのですが。
Data
ランク 「100名城」「100選」「百選」「こんな城」「愛媛県1位」
天守(現存)、櫓(現存、再建)、門(現存、再建)、石垣、堀
創築:慶長7(1602)年、加藤嘉明
加藤氏、蒲生氏、松平(久松)氏、(松山藩、150000石)
この地を長く治めていたのは河野水軍の河野氏でしたが、河野氏の本拠地である湯築城には入らず、大規模な治水工事の末、松山城を築いたのが、松山城の始まりです。初めから近世城郭として設計され、20年以上の歳月をかけて築造されたこのお城は、山上の本丸と山腹の二の丸、それに山麓の広大な三の丸を有する、堂々たる平山城として、四国有数の雄藩としての威容を誇りました。
加藤氏の代では完成しなかったこのお城も、後に松平(久松)氏の居城となって、親藩扱いとなりました。その関係で、失火で焼失した天守を安政元1854)年に再建しています。天守の復元が原則認められていなかった江戸時代において、松山城の天守は、高知城と並ぶ貴重な存在です。結果として、日本で一番新しい現存天守となりました。
このお城のすごいところは、本丸から三の丸まで、その構造がほぼ完璧に残っている点です。全国でも例が少ない「登り石垣」を有するお城でもあり、整備済の二の丸、整備中の三の丸と合わせて、一大歴史公園としてまだまだ復元整備が進むと思います。重要文化財に指定されている建物だけでも22棟。小天守など、復元された建造物も、旧態に充実に木造で復元され、違和感なく調和しています。天守と天守を繋ぐ櫓とが四角形を作り出す、いわゆる連立式天守の完全体が見られるのは、このお城の他には姫路城と和歌山城しかありません。意外なくらいの高さを誇る本丸の石垣も、縄張りの妙も、どれをとっても一流の名城、です。もっと脚光を浴びてもいい・・・はず。





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