今治城
いまばりじょう


所在地:愛媛県今治市通町
最終更新日:2022.6.28

   
<2013.11.7記(2019.1.6改)>
中学生の時にも、道後温泉への家族旅行でも行きそびれてしまった今治城。2012年になってお城仲間に誘って頂き、初めて訪ねることができました。そのくせ仲間から離れて一人でうろうろと歩き回って、我ながら協調性がないなあ・・・と一人勝手に凹んだお城でもあったのですが(笑)、おかげで本丸内外をくまなく歩き回ることができました。
このお城、天守がやたらとせいたかのっぽなので、バランスよく写真に収めるのがとっても難しいお城だなと思いました。思えばこのお城を撮ったあたりから、特に写真の垂直方向に関する感覚が狂ってきて、暫くの間、写真を撮るのが怖くなったのでした。別にそれは今治城のせいではなくて、私が単に下手なだけなのですけれども。
そうそう。城下町で見つけたゆるキャラの「バリィさん」を見た瞬間、「これは!」と思ったものでしたが、それからほどなく投票されたゆるキャラグランプリで、何と何と優勝しちゃいました。ひこにゃん、くまモンに並ぶ地位を得たバリィさん、これからもゆるーくゆるーく今治を紹介しちゃるんでしょう。
今治城は、見る人によって評価が分かれるお城なのかもしれません。築城の名手・藤堂高虎による城郭設計はほぼ完璧で、高虎はこのお城をもっていわゆる徳川系のお城の縄張りの基本構想を確立し、篠山城や名古屋城といった天下普請城郭の画一化を実現したと言ってよいのだと思います。が、同時にそれは個々のお城の平面プランから個性を取り払うことにもなりました。天下普請のお城が総じてでっかくて堅城と呼ぶに相応しい威容を誇るのに、人気面では今一つとなるのはこのあたりに要因があるのではないかと思います。この今治城も百名城や100選からは漏れていて、歴史読本でも愛媛県6位に甘んじています。
とはいえ、お城の完成度で言ったら文句の付けどころがないお城です。慶長7年から本格工事を始め、2年後には早くも完成している点も、工法を含めた城郭建築が完成形に近づいたことを意味するのでしょう。築城当初は五層の天守が聳え立ちましたが、藤堂高虎によって天下普請の亀山城に「寄付」されます。現在の天守は昭和50年代に再建されたものですが、その外観は亀山城天守を写した古写真を基にしています。その他の櫓や門は、今治城自身の古写真に基づき、天守と同時期に復元されました。
今治城といえば、高松城、中津城と並ぶ日本三大水城の一つでもあります。高松城と同様、水堀には現在も海水が引き込まれています。ついでに言えば、本丸の堀の広さも半端ではありません。他のお城より格段に広いお堀に映る、せいたかのっぽの天守。これを見るだけでも十分に訪ねる価値があるでしょう。
ちなみに今治城は藤堂氏の後、伊予松山城の松平氏と同族の久松松平氏が3〜4万石をもって明治まで相伝えました。でっかいお城ですが、びっくりするくらい石高が小さい藩の城として江戸時代の大半を過ごしたことになります。

<2022.6.28記>
今治城にはでっかい天守が建てられています。この天守には、どうにも撮影がしにくい不格好さがつきまといます。いろいろ無理した結果の産物なので致し方ないのかな、と思っているのですが、何を無理しているかというとまずはその立地。そもそも天守があったのかどうかも未決着な中、今治城には少なくとも天守台は存在しませんでした。天守台もないのにどうやって天守が建っていたのかというと、「天守があった派」のお話では「地面に直接天守を建てた」からなのだそう。曰く、藤堂高虎が開発したとされる短納期工法である「層塔型天守」は箱型の構造を多重に重ねる方式で天守を組み立てるため、その平面は正確に長方形である必要があったそうです。天守台に合わせて自在に平面を変化させることが可能な入母屋式の望楼型天守とは異なる、層塔型天守の最大の弱点を補うため、いびつな形になりやすい天守台の構築自体を諦めた、というわけです。現存天守でも例えば高知城には天守台がありませんし、地面から直接建っていた天守は意外と数多く実在していました。こうした事情がある中で、今治城の天守は本丸北櫓台を無理やり拡張して建てられています。これだけでもかなり無理がありますよね。
更に、今治城の天守は「縦にやたらと長い」という特徴があります。初めて今治城を訪れた際に「何て撮影しにくい天守なんだ」と嘆いた記憶があるのですが、見る角度を間違えると不細工と言っても大げさではないくらいに縦長の天守になってしまいます。実はこれもまた層塔型の特徴で、容易に「高さ」を出すのが可能なことがアダになって、総じて背の高い天守が築かれることとなりました。今治城のモデルになった丹波亀山城天守の古写真を見ると、天守はやっぱり縦に長いです。ただ亀山城より今治城の方が更に不格好に見えるのは、亀山城にはなかったはずの破風を今治城には取り付けてしまったからなのでしょう。破風があることでその外観は層塔型よりむしろ望楼型に近づくわけですが、望楼型ならこんなバランスだよね、という脳内イメージと現実とのギャップは大きく、そのギャップがなおさら今治城天守を「縦に長く」見せているような気がしました。
以上、さんざん文句を言ってきた今治城天守ですが、慣れてくるとその撮影方法がわかってきます。まず、天守を単独で撮る場合にはなるべく近寄って、見上げる形で撮影すること。これで縦長の感覚はかなり補正されるはずです。もうひとつは、めちゃめちゃ遠景で撮ること。外堀の外側から、石垣や復元隅櫓群と一緒に天守を写真に収めると、天守が不格好に見えないから不思議です。むしろ遠くから見上げると、より堂々と見えるから不思議なものです。
勝手な想像ですが、北櫓の位置に天守を持ってきたのも、縦長の天守にしかも破風をつけたのも、外堀の外から見られることを強く意識してのことと推察しています。その推察が正しければ、この建物群を設計した方、実は相当にすごい方のではないかなと思っています。
ランク 県史跡、100名城、こんな城、愛媛県6位
天守(再建)、櫓(再建)、門(再建)、石垣、堀
創築:慶長7(1602)年、藤堂高虎
藤堂氏、松平(久松)氏、(今治藩、35000石)
アクセス   今治市の文字通りランドマークなので案内看板も沢山あります。駐車場は今治城の東側(海側)の堀沿いに無料駐車場がありますので、そこを利用しましょう。


今治城フォトギャラリー





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