今治城
いまばりじょう

(愛媛県今治市)
最終更新日:2013.11.7

地図

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<2013.11.7記>
中学生の時にも、道後温泉への家族旅行でも行きそびれてしまった今治城。2012年になってお城仲間に誘って頂き、初めて訪ねることができました。そのくせ一人でうろうろと歩き回って、我ながら協調性がないなあ・・・と一人勝手に凹んだお城でもあったのですが(笑)、おかげで本丸内外をくまなく歩き回ることができました。
このお城、天守がやたらとせいたかのっぽなので、バランスよく写真に収めるのがとっても難しいお城だなと思いました。思えばこのお城を撮ったあたりから、特に写真の垂直方向に関する感覚が狂ってきて、暫くの間、写真を撮るのが怖くなったのでした。別にそれは今治城のせいではなくて、私が単に下手なだけなのですけれども。
そうそう。城下町で見つけたゆるキャラの「バリィさん」を見た瞬間、「これは!」と思ったものでしたが、それからほどなく投票されたゆるキャラグランプリで、何と何と優勝しちゃいました。ひこにゃん、くまモンに並ぶ地位を得たバリィさん、これからもゆるーくゆるーく今治を紹介しちゃるんでしょうねえ。
Data
ランク 「100名城」「こんな城」「愛媛県6位」
天守(再建)、櫓(再建)、門(再建)、石垣、堀
創築:慶長7(1602)年、藤堂高虎
藤堂氏、松平(久松)氏、(今治藩、35000石)
見る人によって評価が分かれているお城かもしれません。築城の名手・藤堂高虎による城郭設計はほぼ完璧で、高虎はこのお城をもっていわゆる徳川系のお城の縄張りの基本構想を確立し、篠山城や名古屋城といった天下普請城郭の画一化を実現したと言ってよいのだと思います。が、同時にそれは個々のお城の平面プランから個性を取り払うことにもなりました。天下普請のお城が総じてでっかくて堅城と呼ぶに相応しい威容を誇るのに、人気面では今一つとなるのはこのあたりに要因があるのではないかと思います。この今治城も百名城や100選からは漏れていて、歴史読本でも愛媛県6位に甘んじています。
とはいえ、お城の完成度で言ったら文句の付けどころがないお城です。慶長7年から本格工事を始め、2年後には早くも完成している点も、工法を含めた城郭建築が完成形に近づいたことを意味するのでしょう。築城当初は五層の天守が聳え立ちましたが、藤堂高虎によって天下普請の亀山城に「寄付」されます。現在の天守は昭和50年代に再建されたものですが、その外観は亀山城天守を写した古写真を基にしています。その他の櫓や門は、今治城自身の古写真に基づき、天守と同時期に復元されました。
今治城といえば、日本三大水城の一つでもあります。同じ四国の高松城と同様、水堀には現在も海水が引き込まれています。ついでに言えば、本丸の堀の広さも半端ではありません。他のお城より格段に広いお堀に映る、せいたかのっぽの天守。これを見るだけでも十分に訪ねる価値があるでしょう。
ちなみに今治城は藤堂氏の後、伊予松山城の松平氏と同族の久松松平氏が3〜4万石をもって明治まで相伝えました。でっかいお城ですが、江戸時代のほとんどをびっくりするくらい石高が小さい藩の城として過ごしたことになります。





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