仏殿城
ぶつでんじょう

(愛媛県四国中央市)
最終更新日:2017.1.30

地図

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<2017.1.30記>
仏殿城の模擬天守は千葉県の館山城とうり二つ。一度見比べてみたいという半ば不純な動機で(笑)、訪城の機会を窺っていました。
いやー。やっぱり似てますね。うり二つ。
でも仏殿城の方が天守内での案内が丁寧で、係の方も仏殿城の見どころを過不足なく案内して下さいました。「天守台の下に一部ですが旧石垣が混ざっていますので見ておいてくださいね」とか、お城好きのツボを心得たようなコメントを頂けたのも収穫でした。更に、
「天守から見える煙突は製紙工場のもので、一番奥が大王製紙さんですね。」
というセリフからは、郷土から大企業に成長した大王製紙への敬愛の情さえ感じました。きっとこの方、ここに生まれたことを誇りにされていらっしゃるんでしょうね。
お城そのものよりも、そんな説明の一コマが強く印象に残った訪城でした。
Data
ランク 「愛媛県8位」
天守(模擬)、櫓(模擬)、門(模擬)、石垣
創築:延元3(1337)年、土肥義昌
土肥氏、妻鳥氏、一柳氏
仏殿城より川之江城という名称で知られたお城ですが、城跡に立つ石碑は仏殿城なので現地重視で仏殿城としました。もともとは南北朝時代に伊予守護河野氏の支配する城塞群のひとつとして築かれ、土肥氏がここを守っていたようです。戦国時代も後半になると伊予そのものが様々な大名の入り乱れる地となり、仏殿城も長曽我部氏や小早川氏等、あまたの大大名の支配下に置かれました。
江戸時代になると一柳氏が川之江城を再興しようとする動きも見られましたが、当主の一柳直家が亡くなって所領が削られ、以後川之江が天領となったことで城の再建話もなくなりました。
現在の仏殿城には昭和になって天守・櫓・門等がこぞって建てられましたが、史実に基づかない模擬建築となっています。模擬建造物によって本来の遺構もかなり損なわれましたが、天守の周辺には仏殿城時代の古い石垣が散見されます。





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