土気城
とけじょう

(千葉県千葉市緑区)
最終更新日:2013.6.28



<2013.6.28記>
2012年の冬、手持無沙汰のままに車に乗り込み、黙々と向かったのが房総半島。気になるお城をひとつひとつ、迷い迷って訪ねる日帰りの旅。最初に訪れた土気城の中心部は、既に閉鎖された大きな研修所によって立入禁止のままとなっており、門の手前の空堀あたりから、往時の姿を偲ぶしかなく。かつては曲輪であったであろう広場には一面に霜柱が立ち、人影ひとつない城跡は、廃墟と化した研修所の姿とも重なって、一層の寂しさを募らせていました。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:神亀年間?
酒井氏
神亀年間に大野東人によって築かれた貴船城がその前身であるという説があり、三の丸の土塁上には今も貴船神社が祀られていますが、信憑性のあるところとしては室町時代になってから千葉氏の支配下にあったあたりからでしょう。長享元(1487)年に酒井氏がこのお城を奪取してから、小田原の役で酒井氏が後北条氏と運命を共にするまでのおよそ100年間、このお城は酒井氏の本城として栄えました。
このように、戦乱相次ぐ房総にあって、比較的長く同じ一族によって脈々と受け継がれてきたお城であり、最盛期には結構な城下町も形成されていたようです。肝心のお城ですが、本丸から二の丸にかけて研修施設に占領されていることを除けば、外郭まで総じてよく残っています。特に研修所に向かって右側にある「クラン坂」と呼ばれる切り通しの坂は、お城があった当時のままの急峻な崖に挟まれた、いかにも攻めにくそうな景観を呈しています。惜しむらくは決して見学がしやすいわけではないということで、堀には木々が生い茂っていたり、不法投棄のゴミが見られたり・・・せめてもう少し手を入れてもらえたら、結構すばらしい遺構にもっと感動できると思うのですが。





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