坂田城
さかたじょう

(千葉県山武郡横芝光町)
最終更新日:2014.1.5



<2014.1.5記>
山武地域には前々から訪ねてみたいお城が沢山ありましたが、なかなかきっかけが掴めずにいたところに、折よく「山武オフ」のお話を頂いたので、喜んで出席致しました。その最後となったのがここ、坂田城。規模壮大であるが故に見どころが散漫になりがちな中、適切な案内を頂いて、ふむふむと十分に理解しながら見学することができました。上の写真は本丸への入口に備えられた「相横矢」の仕掛けです。本丸堀にかかる土橋から見ると、土塁上の人の鉄砲の射程に自分が入っているのがわかります。滅多なことでは当たらぬのでしょうけれども、威圧感は十分です。柵を並べればそのまま現役のお城として使えますね。
坂田城にはこのような技巧的な仕組みが沢山あって、行ってみてやっぱり「すごい」と思えたお城でした。
Data
ランク 「千葉県9位」
土塁、堀
創築:不明、改築:弘治2(1556)年、井田胤徳
三谷氏、井田氏
今は同じ千葉県なのでぴんときませんが、かつては上総・下総の国境線に位置しており、街道の分岐点にもなっていたことから、大変重要な場所であったようです。もともとは在地領主の三谷氏が居住していたようですが、弘治元(1555)年には井田氏に乗っ取られます。井田氏は千葉氏の一族と見做され、飯櫃城を本拠とする山室氏の被官としての側面と、山室氏の上位に位置する千葉氏の直臣としての両面を有していた、有力な部将であったようです。坂田城は井田氏による占拠後に現在の姿に改修され、小田原の役の際には後北条方に属して後北条氏とともに廃城の憂き目を見ることとなりました。
お城は「ふれあい坂田池公園」に隣接する台地上にあり、かつてはもっと大きかった坂田池に囲まれた要害でした。台地の東南隅に本丸(牙城)を、東側に「見台」、北側に「登城」を配置し、それぞれを高い土塁と堀で囲んでいます。各郭の入口はこれでもかというくらい相横矢を入れていて、容易に侵入できる構ではありません。登城の外側には大きく四つの区画(島戸、子安、於東、道城)に仕切られた広大なスペースがあり、その外側にこれまた大きな土塁と堀を入れ、台地との切断を図っています。この土塁と堀には現在まっすぐの道が切り込まれていますが、これは農道として開削されたものであり、本来の虎口は現在の道より更に北側に回り込む形になっていた様子が窺えます。
台地斜面には断続的に帯曲輪が築かれており、このあたりが千葉氏の城郭っぽいなあと思えるところです。全体に遺構はよく残り、近隣に駐車場、トイレも完備されていることから、大変訪ね易いお城ということができるでしょう。





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