師戸城
もろとじょう

(千葉県印西市)
最終更新日:2013.11.16



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<2013.7.17記>
印旛沼の北側に、その名もずばり「印旛沼公園」と名付けられた公園があります。これほどの明瞭な遺構を残しながら、何故か「城跡」の呼称が用いられず、ただの「印旛沼公園」。そのネーミングには何かしらの因縁があるに違いないと思ってみたところ、どうやら工業団地として造成されかけたのをぎりぎりのところで保存と決め、已む無く歴史公園ではなく都市公園として整備したあたりが、ネーミングに「城跡」だの「史跡」だのと付けられなかった所以ではないかと邪推するに至っています。
航空写真で見ても明瞭な堀跡を見て、実際にどうなっているのかが大変気になり、満を持して訪ねてみたのが2012年の春。残雪残る公園内に、期待通りに明瞭な痕跡を残す堀と土塁を目の当たりにして、「ほほう」と感心することしきりの訪城でした。
初訪問からほんの1ヶ月で、今度は城仲間を案内することとなり、都合4人ほどで訪城してみたところ、情報を聞きつけて先にお城に来ていた別の仲間たちに待ち伏せされるという楽しい思い出もできました。
Data
ランク 「千葉県10位」
土塁、堀
創築:14世紀頃?臼井氏
臼井氏
師戸城から印旛沼を挟んだ反対側には、千葉氏の中でも大きな勢力を誇った臼井氏の拠る臼井城がありました。師戸城はその臼井城の支城として、印旛沼の水運を活用しながら有機的に活用されたお城であると考えられています。臼井城が東西南北それぞれ1,000m程度の大城郭であったらしいのに対し、臼井城はせいぜい300mを数える程度と、規模はいかにも支城クラス。ただその縄張りの残存状況は素晴らしく、小高い丘の上をぐるっと囲んだ土塁と堀がほぼ完全に残っています。出入口に枡形等の細工が施されていないあたりに古風な面を感じますが、意図的に「くねっ」と折り曲げられた堀や土塁に、防御の上での一工夫が感じられます。本丸と二の丸を仕切る堀より、三の丸の外側を仕切る堀の方が遥かに広くて大きいというあたり、まず本丸が作られ、時代の要請に応じて徐々に規模を拡大していったことが窺えるのかもしれません。
駐車場もトイレも完備の上、印旛沼の景観をも手中に収めるお城であり、お城が多い千葉県の中でも実に見学がしやすいお城として、「千葉県10位」に堂々のランクインです。臼井城とセットで訪問されるとよいのではないかと思います。





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