小金城
こがねじょう

(千葉県松戸市)
最終更新日:2012.7.12



<2012.7.12記>
野田方面にゴルフに行った帰り道、ふと思い立って小金城に寄り道していきました。折しも夕立が降り始め、小金城に着いた際には結構な雨になっていたのですが、思ったよりすごそうなお城の雰囲気にいてもたってもいられず、傘もささずに階段を登りはじめました。誰もいない、薄暗い雨の城内で、意外なくらいしっかり残ったお城の形を見届けて、「また来よう」との思いを新たに、早々に車へと引き返したのでした。
その後、国府台オフの延長線上で、逆井城に向かうまでの道すがら、10人以上の方をこのお城にお連れしたのですが、首都圏とは思えぬ「お城らしさ」を残したお城として、それなりにご満足頂けたようでした。
「意外とお城だよね」
そういった感想が言いたくなる、結構本格的なお城です。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:天文6(1537)年、高城胤吉
高城氏
松戸のあたりに勢力を張った高城氏の本拠地です。高城氏は千葉氏の一族で、同じ千葉氏一族の原氏に属していたようで、千葉氏の勢力の西端を任されていた有力氏族です。高城氏がこの地に配された当時の仮想敵は、関東管領の上杉氏。その後、小弓公方・足利義明に対抗するためにそれまでの本拠地であった根木内城から、より広大なこの小金城を築いたもののようです。足利義明と国府台合戦については、特集の頁をご覧ください。国府台合戦の際、高城氏は後北条氏のために後方攪乱の役割を担っていたようで、その頃から後北条氏との結びつきを強めていきます。天正18(1590)年の小田原の役の際には、高城氏は後北条氏に従い小田原城に籠城、小金城は浅野長政らに攻められ開城し、そのまま廃城となった模様です。
お城は現在の小金城跡駅の北東方向に広がる台地上にどどん!と聳えていたようで、現在最も遺構が残る大谷口は、本丸から直線距離で300m程度離れた場所に当たります。それでもこの場所からは畝堀などの遺構が検出されており、入念な防御のほどが伺えます。
なお、この大谷口で発見された堀は、通常であれば「腰曲輪」とみなされる場所の山側に、山裾を取り巻くような形で掘り込まれています。この堀は発掘までは全く知られていなかったもののようですから、千葉氏の城郭でよく見られる腰曲輪(主要曲輪を一段低く取り囲む帯状の曲輪)も、もしかしたら横堀だった可能性があります。むしろ横堀だった可能性が高いのではないか、と、この小金城の遺構を眺めて以降、私はそんなふうに考えるようになりました。





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