横手城
よこてじょう

(秋田県横手市)
最終更新日:2015.11.13

地図

<2015.11.13記>
私のお城好きを決定付けた原点ともいえる名著「日本名城100選」に選ばれている以上、行かないわけには参りません。たとえみちのくの小京都・角館に行く時間を失おうとも、史実に反する天守が堂々と二の丸に建っていようとも。
総じて模擬天守には寛容な方だと思っていますが、横手城の天守はどこかアンバランスで、あんまり馴染める姿ではありません。破風の部分が薄くてとんがり過ぎているからでしょうか。
本丸と二の丸の間の広場にある売店に、「横手やきそば」という幟が出ていました。聞けば5分くらいで出来るとのこと。注文しておいて、その足で本丸の秋田神社へと向かいました。神社はお城の建物を転用したものなのだそうで、そうするとこっちが現存建造物で、二の丸にある模擬天守はいよいよ模擬天守ということですか。うーん。
出来上がった焼きそばを持って、今度は二の丸へ。首をかしげつつ天守を眺めながら、たまごが乗った横手やきそばをもぐもぐと頬張っていると、近くに真っ黒いネコが「にゃあ」と。まあ、余計なことを考えるのはよしましょう。ネコにも会えましたし。
Data
ランク 「100選」「こんな城」
土塁、堀
創築:不明、小野寺氏
小野寺氏、戸村氏
小野寺氏の本城です。小野寺氏は平安末期まで遡れる坂東武士で、もともとは栃木県の唐沢山城からほど近い小野寺地域が本貫の地なのだそうです。天下統一の過程にあって、小野寺氏の当主は義道でしたが、この人、行動が一歩遅いようで、おまけに暴れん坊だったようで、天下統一後も本領は安堵されたものの所領そのものはかなり削られてしまったようです。おまけに関ヶ原の戦いの際に成り行きで西軍についたものと見なされ所領は没収、津和野城の坂崎氏に預けられる羽目になりました。ただこの方、結構人望はあったようで、小野寺氏の大名復帰運動みたいなものが結構展開されたようです。ただ結局小野寺氏が大名に返り咲くことはなく、そのまま津和野藩士として明治を迎えるに至ります。
小野寺氏の後は、常陸国から移された佐竹氏が入ります。横手城には重臣・戸村氏が入り、そのまま明治まで戸村氏のお城として存続しました。全国でもそれほど実例がない、一国一城令の「例外」として認められたお城ということになります。
戊辰戦争では佐竹氏が奥羽列藩同盟に属さなかったため、横手城も伊達藩などから攻撃を受ける羽目になり、戸村氏も善戦しますが落城の憂き目を見ます。この時に戦没した士卒を祀るため、横手城の本丸にお城の廃材を利用した「秋田神社」が建立されました。一方二の丸には東北地方で初となる模擬天守が建てられ、横手のシンボル的な存在となっています。
肝心のお城ですが、削平されたふたつの曲輪(本丸と二の丸)が存在するほかには目立った遺構がなく、山そのものがお城だったという、そんな印象のお城です。





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