矢島城
やじまじょう



別名:八森城
所在地:秋田県由利本荘市
最終更新日:2017.4.10 

   
<2017.4.10記>
以前東北を旅行した時に、由利本荘市の外れにぽつんとある「八森城跡」の地図表示が気になっていたのですが、その時は旅程に組み込むことができませんでした。後になってよくよく調べてみると、ここの城主は讃岐から左遷されてきた生駒氏であることがわかり、俄然興味が湧いてきました。
矢島城の主郭があった場所は矢島小学校の敷地となっていますが、学校の前面には今でも水を湛えた堀が残されています。城下の町割りもほぼそのまま残されているようで、周辺の道々にはそれぞれお城が現役だった時代の小路名が記されていました。お城はなくなってしまっても、城下町は城下町。大名のお城ではなくっても、おらが城はおらが城。矢島城は明治になってお城としての機能を失った後も、そうした地元愛に包まれてゆっくりと余生を楽しんでいるように見えました。大名ではなくなっても200年もの間、この地を守り続けた生駒氏のように。

矢島城は別名を八森城といい、信濃発祥の大井氏によって応仁年間に築かれたと言われています。大井氏は後に矢島氏を名乗り、由利十二頭の一人として勢力を保ちますが、やがて近隣の仁賀保氏の攻撃を受けて弱体化します。仁賀保氏の攻撃に耐えかねて矢島満安が西馬音内城へと逃げ込んだのもこの頃です。矢島氏不在となった矢島城には、最上氏の臣である楯岡氏が入りますが、最上氏が改易になったことを受けて楯岡氏も矢島を去ります。その後、由利十二頭の一人であった打越氏が入り、その後に入ったのが生駒高俊でした。高俊は丸亀城を築いた生駒親正のひ孫にあたる人物で、放蕩生活がたたってお家騒動を引き起こし、讃岐を取り上げられて矢島1万石へと大左遷された人物です。2000石を分け与えて大名でもない8000石の交代寄合となった生駒氏は、明治までおよし230年を矢島で過ごすこととなりました。
なお、交代寄合のお城なので、表記としては矢島城ではなく矢島陣屋が正式です。それでも本丸には水堀が構えられ、表門周辺には石垣も築かれており、実質的にはお城と言った方がよさそうです。 
ランク -
石垣、土塁、堀
創築:応仁年間、大井氏
大井(矢島)氏、楯岡氏、打越氏、生駒氏(交代寄合、8000石)
アクセス
由利本荘市の矢島総合支所、または矢島小学校を目指せば一発。
車は矢島総合支所周辺に無料で駐車可能。


矢島城フォトギャラリー
 





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