脇本城
わきもとじょう



所在地:秋田県男鹿市脇本
最終更新日:2022.11.23
<2015.9.5記>
檜山城から八郎潟を横切り、脇本城へと向かいました。脇本城もまた、秋田に行くなら寄っておきたいと思っていたお城。白黒写真で見た圧倒的な山城の姿に文字通り圧倒され、「いつかは・・・と心温めていたお城でした。聞くところによれば、2015年の秋に男鹿市主催のシンポジウムがあるそうで、出演者は奈良大学の千田学長、落語家の春風亭昇太さん、我らが城メグリストの萩原さちこさんという錚々たるラインナップ。いや、皆様お忙しい。すばらしい!(注:シンポジウムは大盛況のうちに終わったそうです)
そんなイベントの主題にもなり得る名城なのか・・?答はイエス!現地で見渡した風景は、白黒写真で見た壮大な山城の光景そのままでした。白い道(天下道と言います)、青い空、緑の草原、そしてはるかかなたにまた青い海。白と青と、そして緑しかない世界の中に、明らかに人の手が加えられたお城としての痕跡が刻み込まれています。その痕跡をしっかりと包み込む三色の世界。こんな壮大なるお城を築いた安東氏もすごいですが、その壮大な城をすっかり包み込んだ自然の力もまたすごいものだと思います。
脇本城は、湊城の湊安東氏と檜山城の檜山安東氏とに分離していた安東氏をひとつにまとめた安東愛季が、天正5年頃に大改修を施したお城と伝えられています。日本海に面する小高い丘全体をひとつの城とした壮大なスケールの山城で、山上の曲輪群は見晴らしのよい草原となっています。このお城は中央に街道が通っていることが特徴で、その街道には「天下道」というこれまた壮大なネーミングがなされています。
山上の主郭には郭内を仕切る土塁が設けられていたようで、現在もその一部がT字型の土塁として残存しています。土塁や堀切など、お城らしい遺構となると全般にやや薄めなのですが、このお城の魅力はなんといっても規模感。日本海をバックにしたダイナミックな光景は、現地に立たないと実感できません。

<2018.7.3記>
東京から訪ねるにはあまりに遠い、男鹿半島。そんな男鹿半島の付け根に位置する脇本城に、まさかこんなに短いインターバルで再訪することになるとは夢にも思いませんでした。それもこれも、続100名城スタンプの魔力です。そりゃ押さないわけにはいかないでしょう。
二度目の脇本城も、初訪問のときと変わらぬ感動を与えてくれました。今回は時間をかけて、前回は回れなかったエリアまでくまなく回ってきました。前回見ていなかったエリアにはどっしりとした土塁が連なっていて、前回見た時よりもむしろ「お城」の色彩を濃く感じましたが、これだけ広大な領域が全面的に軍事施設だったとは考えにくく、安東氏を中心とする中世的な連邦政権みたいなものがこの脇本城を中心に構成されていたのでしょう。発掘したらきっと、北海道の上ノ国勝山館と同じような屋敷や住居、倉庫、それに工房などが続々検出されるのではないでしょうか。

<2022.11.23記>
訪問する度にその壮大なパノラマに圧倒される脇本城ですが、3回目の訪城となった2022年もまた感動しきりとなりました。今回初めて「馬乗り場」地区にも足を伸ばしたのですが、「徒歩15分」の表示は案外ウソではなく、それなりの起伏を伴いながらしっかり15分かかりました。初めから15分かかると見ていればそれほどでもないのだろうと思いますが、どうしても「同じ脇本城の中なので、それほどの距離はないだろう」との先入観が勝ってしまうのでしょう。現地では「遠いなー」「なかなか着かないなー」という印象が強く残りました。
5月の馬乗り場はフキの群生地でした(笑)。フキをかきわけてがさがさ進むと、やたらと汚れます(笑)。払えば落ちる汚れですが、ちょっと油断しましたね(笑)。
「馬乗り場」との呼称がありますが、「古館」との名称も持っています。脇本城が古館から海側に大拡張されていったことを物語るのかもしれませんね。地域によってはいわゆる本城地区から500mも離れていれば「別の城」とみなされているところもあるかと思いますが、脇本城はどうやらあくまで脇本城。馬乗り場どころか、その先の丘陵地のほぼ全体が脇本城の史跡指定範囲です。現在普通に見学できるのは、先ほどから「いわゆる本城」と呼んでいる「内館地区」と「馬乗り場地区」ですが、史跡としての脇本城は更に「兜ヶ崎・打ヶ崎地区」、「乍木地区」、「お念堂地区」を加えた五つのエリアが存在します。その外側には「寺院地区」と「城下町地区」とが付随しており、エリアを貫く幹線道路「天下道」等を含めたこのエリア全体が、巨大なひとつの中世都市(中世的景観)として認識されていました。今はただ草木ばかりが繁茂するなだらかな丘ですが、脇本城に大改修を施したとされる安東愛季が生きていた時代には、海に面したこの地域が安東氏の隆盛を支える極めて重要な土地だったのだろうと推察できます。やっぱり脇本城、私は行くたびにわくわくが止まりません。
Data
ランク 国史跡、続100名城、秋田県3位
土塁、堀
改築:天正5(1577)年、安東愛季
安東氏
国道101号線を西進し、脇本郵便局を過ぎて1kmくらい行ったところで右に入ると、そこが脇本城の入口です。案内看板が出ていますので迷わず辿り着けるでしょう。車は国道沿いのスペースに10台くらい駐車できます。小さめの車であれば、更に山道を登ってプレハブのガイダンス施設の前まで車で進入することも可能です。ガイダンス施設前にも5、6台は駐車できるスペースがあります。
無人のガイダンス施設には従前から脇本城に関する資料やパンフレットが常置されていましたが、続100名城スタンプもこの施設内に置かれるようになりました。

脇本城フォトギャラリー





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