六郷城
ろくごうじょう

(秋田県仙北郡美郷町)
最終更新日:2017.3.12

地図

<2017.3.12記>
六郷城の主郭があった場所には、現在、「田岡神社」という小さな神社が建っています。鳥居の手前には池があり、もしやこれは堀の名残かなあと思ったりするのですが、周囲は全体に平坦で、特に城跡らしい風情が感じられるわけではありません。それでも、東北の大名となって旅立っていった六郷氏の本拠地であった六郷城の場所は、鳥居脇に立てられた一本の標柱によって知ることができます。
田岡神社の狭い拝殿にはぎっしりと人が入っていました。どうやらお祭りか何かの準備のようです。小さな神社ですが、六郷城の本丸に建つこの神社は、今も地域のコミュニティを形どる上で重要な役割を果たしているようでした。
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創築:永禄2(1559)年、六郷道行
六郷氏、佐竹氏
六郷氏の城郭です。六郷氏は鎌倉時代の有力御家人であった二階堂氏の一族で、戦功により出羽六郷の地を貰い受けた二階堂氏のうち、現地に赴いた一族が六郷を名乗ったものと推測されています。その後、戸沢氏や小野寺氏に属することもなく独立を維持した点など、近隣の本堂城にいた本堂氏ともよく似ています。平地の城に出てきたのも永禄〜天正年間のようですからこれも似ています。また、関ヶ原の戦いの後に常陸国(府中城)へ異動したのも本堂氏とそっくりですが、こちらは大名であった点、後には場所こそ異なるものの出羽(本荘城)に返り咲いた点が本堂氏とは異なります。
六郷氏が常陸に異動した後、この地は佐竹氏の支配下となり、時の当主・佐竹義宜の父である佐竹義重が自ら六郷城に入り、城下を整備したと伝えられています。ただそれも慶長年間に義重が亡くなったことや、一国一城令が発令されたことを受けて廃城となりました。現在は田岡神社の周辺に折れを伴う堀の跡が若干ながら残っている程度となってしまいました。





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