大鳥井山遺跡
おおとりいやまいせき

(秋田県横手市)
最終更新日:2015.11.16

地図

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<2015.11.16記>
横手城から金沢城に向かう途中で、「国史跡 大鳥井山遺跡」という大看板が目に入りました。国史跡となれば気にしないわけにもいかないのですが、今はちょっと時間も押している中のこと。とりあえず黙殺することにして金沢城へと駒を進めたのですが、なんというかどうも胸騒ぎがして。
金沢城の案内板を見ていたら、「近隣の大鳥井山遺跡」についての記述もあり、その遺跡が防御性を持つ施設であることを知ったところで、にわかに思い出したことがひとつ。
「後三年の駅の近くに、不思議な城跡があるんですよ。プールみたいな窪みが段々に連なっていて。あれは何に使うのかなあ。」
お城仲間のそんなセリフと、目の前にある案内板とがひとつになって。これは戻るでしょう。絶対に。
時間がないのもなんのその。横手方面へと車を戻し、たどり着いた大鳥井山遺跡は、なるほど確かに不思議な場所でした。防御施設であるとひとくくりに片づければ簡単なのですが、どう見ても普通ではない遺構の数々。普段目にしている戦国の城郭よりも軽く500年くらい古い城跡だと思えば、その不思議さにも納得がいくというものです。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:10世紀、大鳥山太郎頼遠
大鳥山氏
前九年の役(1051〜1062年)や後三年の役(1083〜1087年)の時代、安倍氏と対抗していた清原氏の一族に大鳥山太郎頼遠という人物が存在したことが「陸奥話記」に載っているのだとか。この文献とこの遺跡とを結びつけるには十分すぎるほどの遺構が地中から出てきました。出土遺物から推定されるこの遺跡の存立時期は10世紀から12世紀。大鳥井山という地名といい、まず大鳥山氏の居館と考えて間違いなさそうです。
金沢城とも至近距離なので、実はこの大鳥井山遺跡こそ伝承の「金沢柵」なのではないか、と素人目には思えなくもないのですが、大鳥山氏という氏族の存在が知られている以上、これを金沢柵とすることには無理がありそうです。
総合運動場の建設計画に伴い全面発掘が行われた結果、大鳥井山と隣の小吉山の双方から土塁と堀を伴う建物群が見つかりました。現在大鳥井神社が建っている大鳥井山の山頂には庇付きの豪華な建物が建っていたことも判明しています。
ちなみに清原氏は微妙に両親が異なる三兄弟(真衡、家衡、清衡)の兄弟喧嘩が元で後三年の役を巻き起こしますが、この戦いで勝利者となった清衡が後に平泉に移り、奥州藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の祖となってゆきます。世界遺産・平泉の繁栄の元は、金沢柵や大鳥井山遺跡のあった横手の地だったのですね。





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