三又城
みつまたじょう

(秋田県湯沢市)
最終更新日:2017.3.23

地図

<2017.3.23記>
県道108号線を稲庭方面に向かって走っていたら、道の左側から、
「史跡 三又城跡」
という標柱が突然飛び込んできました。
予備知識が全くなかったお城ですが、どのみち急ぐ旅でもなし、立ち寄ってみよう・・・と軽い気持ちでハンドルを切りました。
標柱の示す先には、細い車道と小さな公園、それに公園を見下ろす神社が見えます。
あの神社が城跡なんだろうと目星をつけたところで、ふとバックミラーに目をやれば、間近に迫る後続車。追い越し不可能な狭い道のこと。ならば公園に突っ込む未舗装の道路へと入れば後続車をやり過ごせるだろうと思ったところ、あろうことか後続車は後をついてくるではないですか。
ならば、と更に神社へと続きそうな細い山道の入り口へと左折すれば、更についてくる後続車(笑)。
うーん。とことんついてない。
無理やり車を路肩に停めると、後続車はそのまま神社への未舗装路をががが・・・と登っていきました。
到底ついて行く気にはなれず、そのまま路肩に車を乗り捨て、歩いて神社へと登りましたが、神社ではお祭りの相談か、さきほどの車の乗員たちが何やら相談中。
「さっきの車のやつだな」
てな顔でじろりと睨まれ、非常にいたたまれない気分になり、そそくさと引き上げました。あるんですよね。ああいう間の悪さって。三又城には全く罪のない話なのですが。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:貞治2(1363)年、小笠原義冬
小笠原氏
貞治年間(1362〜1368)に、甲斐から羽後へと移住した小笠原義冬なる人物によって使用されていたお城のようです。貞治2年に奉納された大般若経の巻末に「貞治二年八月何日山北於三俣萬福寺書取筆源朝臣小笠原信濃次郎義冬」との銘があるのだそうで、三俣=三又に義冬が居住した根拠とされています。
義冬はその後、稲庭城の小野寺氏によって三又を追われ、横手に近い仙北郡楢岡なる場所へと移っているようで、三又城が仮に義冬の城だったとすれば、かなり短命に終わった城ということになります。
三又城には現在、三又神社が鎮座しています。三又神社の境内は平坦で、北側には東西一直線に低い土塁と浅い堀が残り、土橋も確認できます。それ以外にはめぼしい遺構もなく、単郭の館だったのではないかと推測できます。





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