湊城
みなとじょう

(秋田県秋田市)
最終更新日:2015.9.14

地図

<2015.9.14記>
なーんにもないお城、というのも時折目にするのですが、ここもまさしく「なーんにもない」お城。
地図で見ていると、なんとなく四角いお城がそこにあったような印象が浮かび上がってくるのですが、現地に立つとそれらしき土地の起伏もなく、まさしくなーんもない状態で。わずかに土崎神明社の碑の前に「湊城跡」の標柱が立っていることで、ここが湊城で間違いないのだということを確信できるばかりです。
Data
ランク -
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創築:慶長4(1599)年、安東実季
安東氏
東北の雄・安東氏の本城だったお城です。安東氏はどこが本流でどこが本城なのだかよくわからない時期もあるのですが、ここ湊城の周辺には少なくとも15世紀には安東氏の宗家に相当する湊安東氏が居住していたことは間違いありません。その後、檜山城の檜山安東氏との抗争に敗れ、檜山安東氏が湊安東氏を併合した際には安東氏の本拠は檜山城のままで、併合を実現した秋田愛季の息子・実季の代になって初めて海沿いの湊の地に本拠が移り、本格的な築城がなされたものと推察されています。
そうなると湊城は、慶長年間に築城された純粋な織豊系城郭であったことが想像でき、規模的にもそれなりのものがあったことでしょう。ただ築城に取り掛かった翌年には関ヶ原の戦いが勃発し、安東氏は佐竹氏と入れ替わりで常陸国に移動してしまいます。後に入った佐竹氏は湊城を用いず、現在の秋田市の中心部にある小高い丘に久保田城を築き、それと同時に湊城は地下に埋もれることとなりました。埋もれた湊城の全貌は明らかではありませんが、もし佐竹氏が秋田に移動せず、この地を安東氏が継続支配していたら、今の秋田市は湊城あたりが中心だったということになるのでしょうか。
湊城の中心部には土崎神明宮がありますので、訪ねる際にはこの神社を目印にするとよいでしょう。l





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