久保田城
くぼたじょう

(秋田県秋田市)
最終更新日:2015.9.18

地図

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<2015.9.18記>
佐竹氏の本城・久保田城はもちろんあらゆる100名城にカウントされていますし、秋田県内ではもちろんナンバー1のお城でしょう。ただなんとなく印象が薄いのは、久保田城のすごさを伝える写真や文章が少ないことにあるのかもしれません。実際、私も現地を訪ねてみるまではただただ地味なお城という印象しかなく、そうはいっても100名城のスタンプも押さなければならないし・・・といった消極的な理由で訪ねたような感があるのも否定できませんでした。
でも、現地に立つと、「地味」だと思っていたお城が案外地味ではなく、いやむしろ地味どころではなく、石垣がないことで却ってその存在感を高めているといった印象です。このお城、石垣なんか無関係に壮大ですし、まず何よりも落ちません。この城には、「落ちない」「落とせない」と、心の底から思わせてしまう何かがあるのだと思います。
お城の持つ意味や価値を考えるには、最適のお城かもしれません。そしてまた、久保田城を見て「すげー」と思える人は、お城への造詣が相当に深い人なのではないかと思いました。5月にしては暑い日でしたが、気温とは関係なく汗びっしょりになったお城でした。
Data
ランク 「100名城」、「100選」、「百選」、「こんな城」、「秋田県1位」
櫓(模擬)、門(復元)、番所(現存)、土塁、堀
創築:慶長8(1603)年、佐竹義宣
佐竹氏(久保田藩、205800石)
常陸の名族・佐竹氏が関ヶ原の戦いの後に秋田の地に移封され、最初は湊城に入ったもののあまりにも手狭であったために新たに築城の工を起こしたのがこの久保田城です。もともと小さなお城があったようですが、久保田城として築かれたその巨城は純粋に新規築城されたものであり、旧城とは全く関係がないと言ってよいでしょう。以来明治に至るまで不動の藩主・佐竹氏によって治められ続けます。余談ですが、平成27年現在の秋田県知事は佐竹敬久さん。この方もまた、佐竹氏のご一族(角館の佐竹北家)のご出身ですから、秋田県は今でも佐竹氏の「天下」です(佐竹氏は全国知事会の会長を歴任されたりしていますので、ある意味「天下を獲った」方とも言えます)。
久保田城には石垣が用いられませんでした。この理由として、関東では石を使って築城する慣習がそもそもなかったという説が一般的ですが、幕府に気を使って石を使わなかったという一面もあるのではないかと思います。現在の久保田城を眺めると、二の丸の黒門にしても本丸に至る長坂門にしても、門に至る坂の両脇は綺麗な切石が積まれています。決して石を使えなかったわけではなく、使わなかったというのが真相なのだと、現地に立って強く実感しました。
また、現地に立つと、本丸までの比高が案外高いことに気付かされます。石垣がないといっても、直登するのは不可能な三段の切岸と自在に折れ曲がる通路に護られた本丸に辿り着くのは容易ではありません。天守のような華美な建物がなかったことも、却って攻め手には不気味に映ったことでしょう。大砲を打ち掛けようにも、大砲が狙うべき標的物(天守)がないのです。大砲まで考慮した近代戦を想定しても、このお城は落ちません。落とせません。
そんなお城好みの「通」を唸らせる久保田城は、一見しなければそのすごさがわかりません。壮大なスケールを実感するためにも、一度現地に立たれることをお勧めします。





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