金沢城
かねざわじょう

(秋田県横手市)
最終更新日:2015.11.15

地図

<2015.11.15記>
後三年の役の舞台となった金沢柵はその場所が正確には特定できていないのですが、概ね現在の金沢神社のあたりだったのだろうと推測されているそうです。で、この地には戦国時代に築かれた金沢城があるということで、その金沢城を目指して車を走らせました。それにしても「後三年の役」の舞台にある、「後三年の駅」って・・・
上のようないきさつのもとに立ち寄った場所ということもあり、それほど大したお城ではなかろうとたかをくくっておりましたが、これが結構な大間違い。郭と郭の間は計画的に掘り切られ、縄張図がなくてもこのお城が相当に洗練された縄張りを持ったお城であることがわかります。北関東のお城みたいな技巧はありませんが、東北の居館型城郭にありがちな独立性の高い郭を連ねた構造とは全然違う、有機的に結合された郭が重なり、完成されたひとつの城郭を形作っていました。
金沢神社の駐車場に車を停めたら、その直後に若いカップルが車を停めて、城内を見学していきました。神社へのお参りかと思ったら、どうやらこのカップル、お城の見学に来たようで。よっぽど声をかけようかとも思いましたが、ここはぐっとこらえて。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:不明、金沢氏
金沢氏
後三年の役(1083〜1087年)の舞台となった金沢柵がここにあったとすればその歴史は一気に遡ることとなりますが、現在の金沢城からは残念ながら古代城柵に繋がる遺構は見つかっていないようです。ただ城内から焼米などが見つかっていることから、このお城が一度は戦乱の中に身を置いたことだけはわかります。
現在の遺構に繋がる金沢城が歴史上に初見するのは、長禄2(1458)年の南部氏侵攻があった時で、この時南部氏一族が金沢氏を名乗って金沢城に拠点を構えたようです。その後は横手城の小野寺氏の支配勢力下に代わり、金沢城は国人領主層の金沢氏の持ち城に取って変わった模様です。その後は小野寺氏とくっついたり別れたりしながら過ごし、近くの六郷氏と行動を共にしたようです。となると最終的には六郷氏について本荘城で過ごしたということでしょうか。このあたりになると金沢氏のことはよくわかりません。
お城は後三年の駅からほど近い金沢公園を更に登った金沢神社境内となっており、神社の真横まで車で登ることができます。主尾根上に数段の曲輪を構え、左右に広がる尾根上にもいくつかの曲輪を配し、それぞれを堀で仕切っています。堀は地形に沿ってというよりある程度意図を持って曲げられており、横矢を意識した構造になっているものと思われます。そう考えると現在の金沢城は戦国時代の終わり頃の姿を示していると考えるのが妥当なのでしょう。





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