亀田城
かめだじょう



所在地:秋田県由利本荘市
最終更新日:2017.4.23 

   
<2017.4.23記>
東北の旅も最終章を迎えることとなりました。亀田城への道を辿るにつれ、みるみるうちに夕闇が迫ってきます。写真が撮れるうちに亀田城まで辿り着けるか、まさにぎりぎりとなったその時、「天守」の姿が目に入りました。亀田の街には、本来の亀田城とは全く関連のない城郭建築が散らばっています。賛否両論ある「お城もどきの建築物」ですが、遺構を破壊しないものである限り、そこに「お城」があったことを多くの人に知ってもらうためにも、否定すべきものではないと思っていますので、旅先でこういう「お城もどき」がある時には極力立ち寄ることにしています。
残念ながら開館時間には間に合いませんでしたが、それでも無駄に豪華なこのお城の外観を、存分に堪能することができました。
亀田には由利十二頭の一人である赤尾津氏がいましたが、亀田城を使用したのは赤尾津氏ではなく、江戸時代になって亀田藩を興した岩城氏です。岩城氏は桓武平氏の流れを汲む名族ですが、戦国時代には伊達家や佐竹家から養子を迎えて、相当複雑な血縁関係を持っていました。関ヶ原の戦いの頃に岩城氏当主だったのは佐竹義宣の弟にあたる岩城貞隆でしたが、佐竹家の秋田異動に従わず浪人し、大阪の役で挙げた功績によって大名に返り咲きました。その子の吉隆が最上氏改易後に佐竹領に近い亀田の地を賜り、ここに亀田藩が成立します。吉隆は後に佐竹氏本家を継ぎ、代わって佐竹氏から改めて養子を迎えましたが、江戸時代中期には伊達氏からまたまた養子を頂き、相変わらず伊達氏系やら佐竹氏系やらが入り混じった形で岩城家は続いていきました。
ところでこの「佐竹氏から改めて」迎えた養子ですが、後に岩城宣隆となるこの人物、佐竹義宣の弟にしてかの真田信繁(幸村)の娘を妻に娶る人物です。?お田の方、後に顕性院となるこの真田信繁の五女は岩城宣隆の継室(後妻にして正妻)となり、亀田藩主三代目岩城重隆の母となりました。岩城重隆は「鬼佐竹」の異名を持つ佐竹義重と「日本一の兵」の異名を持つ真田信繁の二人を祖父に持つという、羨ましすぎる血統ですね。
さてさて亀田城は正確には陣屋であり、模擬城門が異彩を放つ「亀田城佐藤八十八美術館」と平成26(2014)年に閉校した亀田小学校、それに天鷺神社の敷地となってしまい、ほとんど遺構を残していません。わずかに天鷺神社のあたりに土塁が残る程度となっていますので、むしろ散在する模擬城郭建築を楽しんで頂ければと思います。
ランク -
土塁
創築:元和9(1623)年、岩城吉隆
岩城氏(亀田藩、18000石)
アクセス 亀田城佐藤八十八美術館、または岩城歴史民俗資料館あたりをカーナビでセットすれば、ほぼ迷わず現地に辿り着けます。駐車場は上記2地点いずれも無料で利用可能です。





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