払田柵
ほったのさく

(秋田県大仙市)
最終更新日:2017.3.10

地図

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<2015.11.18記>
秋田空港への帰路、最後に立ち寄ったのがこの払田柵。金沢城大鳥井山遺跡で時間を使いすぎたので、立ち寄ると言っても本当に立ち寄るだけとなり、奥の礎石建物群まで行くこともなく引き返す羽目になりました。
それにしても東北の地には秋田城といい志波城といい、徳丹城といい、どうしてこうも立派な古代城柵が埋もれているのでしょう。今やその多くが掘り出され、一部はこうして建物なども復元され、我々が容易に目にすることができるようになっています。これは実に素晴らしいことだな、と思ったのでした。
3日間に亘る怒涛のお城巡りも、これにて終了。払田柵を離れて3時間後には、秋田空港を東京に向けて飛び立ったのでした。

<2017.3.10>
今度こそは、ということで、礎石建物群はもちろん、反対側の井戸や工房跡までしっかり眺めてきました。山上の建物群に向かうための階段裾には、巨石を用いた石垣もあったんですね。鏡石に飾られた近世城郭と発想は同じでしょう。城柵に求めるものへの普遍性とでもいいますか、お城の意匠は特定の時代に特定の人に限って用いられたものではないことを感じずにはいられませんでした。
そういえば、出羽の古代城柵は正方形ではないんですね。このあたりにも、古代城柵といえども決して一様ではない、ということを感じさせられました。
Data
ランク -
門、塀(復元)
創築:9世紀
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文献や伝承を持たない、幻の城柵です。「続日本紀」に記載のある「雄勝城」に比定する意見もありますが、出土した木柵の伐採年代は年輪測定法により延暦20(801)年であることが確定しており、760年創築の雄勝城とは年代が合わないと退けられています。個人的には40年くらいの年代差、この時代なら普通に誤差の範囲のような気もするのですが。
遺跡の存在は明治35(1902)年の耕地整理によって知られることとなりましたが、発見当時は学術的価値があまり認められず、国史跡に指定されたのは昭和6(1931)年になってからでした。更に1970年代には土地開発計画が持ち上がり、払田柵にも大幅な改変が加えられる可能性があったようですが、なんとか保護する方向で現在に至ったもののようです。高度成長期って、ある意味戦災以上に遺跡をぶっこわした時代ですよね。
払田柵は他の東北城柵とは異なり方形のプランを持たず、三重の楕円形の「囲い」によって囲まれていました。その意味でも非常に特異な城柵と言えるでしょう。中心には政庁と思しき建物群が、少なくとも4期に亘って建て替えられたこともわかっています。現在城柵内は整備がなされ、門や塀などが一部復元されているほか、政庁跡などの平面展示も見られます。なお、敷地が広大ですから、見学には案外時間がかかることを申し添えておきます。





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