本堂城
ほんどうじょう

(秋田県仙北郡美郷町)
最終更新日:2017.3.12

地図

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<2017.3.12>
本堂城のある本堂地区は仙北郡美郷町に属しますが、大仙市に属する払田柵からは目と鼻の先です。カーナビでは表示されないので、頭の中で
「払田柵から県道を東に向かい、最初の角で左折して川にぶつかったら右折。ほどなく左折すると城跡。」
というイメージを描きながら車を走らせました。川にぶつかって右折、というところまではイメージ通り進んだのですが、次の「ほどなく左折」の該当箇所にぶつかる前に「左 本堂城跡」の標識が出てきました。しかもその標識を真に受ければ、本堂城は今来た道を逆戻りする形。後から思えば、その標識の通りに直進すると田んぼに落ちてしまうので、標識自体が90度間違って設置されていることに気づけばよかったのですが・・(笑)。
おかげで余計な時間を要することになりましたが、何とか本堂城に辿り着きました。見た感じは、整備前の小田城を見ているかのよう。ほぼ平らに均された畑の四方に小さく盛り上がる土塁。わずかな比高差を持って外側を囲む堀跡。まあそれでも耕地整理の波にも負けず、よくぞここまで残ったものです。案内看板だけでなく、小さな赤い「本堂城跡」の幟も立てられた城跡は、これからもこのままの形で地元の方々によって大切に守られることでしょう。
Data
ランク -
土塁、堀
創築:天文年間(1532-1555)年、本堂忠親
本堂氏
本堂氏のお城です。本堂氏は鎌倉時代に和賀地方に入った和賀氏の庶流と言われていますが、和賀氏に従属せず、近隣の小野寺氏や戸沢氏との抗争を繰り広げながら、独立した地位を保ち続けました。奥州仕置きや太閤検地も無事に乗り切り、関ヶ原の戦いも乗り切りましたが、この地域には佐竹氏が常陸から異動してくることとなり、その入れ替わりで常陸志筑に所領を得て、以後8,500石の交代寄合として江戸時代を全うしました。日本史の大きな舞台には全く登場することのない、しかも一度として大名となったことがない(本堂城時代の最大所領は8,983石と伝わります)一族ですが、細く長くその血脈を保ち続けた稀有な一族です。
本堂城は、そんな本堂一族の本拠となったお城ですが、本堂氏の歴史全体に比べれがその歴史は案外と浅く、天文年間(1532-1555)の築城と伝わります。天文年間という戦国時代がまさにこれから始まろうかというその時に、それまで元本堂城という山城を本拠としていた本堂氏が堂々と平地の平城に降りてきたのは、本堂城の方が防御が厚いと考えたからか、それとも近世城下町を意識した「超先見的」な目であったのか。その真相は定かではありませんが、結果として「山城→平城」という流れを作ったことになります。
現在の本堂城は周囲100m余の方形の主郭を残すばかりですが、かつては400m四方ほどの外堀に囲まれていたようです。主郭は発掘調査がなされており、掘立柱建物や炭化米が出土しているとか。県史跡にも指定され、上の文章にもある通り、地元住民によって大切に主郭エリアが守られています。





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