檜山城
ひやまじょう

(秋田県能代市)
最終更新日:2015.9.4

地図

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<2015.9.4記>
秋田空港からいったん秋田市内を突き抜けて、旅の目的地の最北端、檜山城へと向かいました。檜山城には主郭の間近まで車で乗り入れることができるので、広大な城域といえども主郭近辺は比較的短時間で見て回ることができます。
とはいうものの、そこは東北最大級の山城のこと。容易には写真に収まらない、美しく壮大な土の造形の数々。
それはもう、まるでひとつの大きな美術品のよう。
小走りにお城の中心部分を見て回り、車に戻って山下のお寺の前に来るまでの間、誰一人としてすれ違うこともなかったのに、道端を歩く若い女の子の二人連れが目に入りました。赤いミニのワンピースが、吹く風にふわり。さっきまで目にしていた誰もいない風景と、あまりに場違いな赤いワンピース。
みちのく日本海の一人旅は、一風変わった、旅の思い出から始まりました。
Data
ランク 「百選」、「秋田県2位」
門(移築)、土塁、堀
創築:明応4(1495)年、安東忠季
安東氏
東北の雄・安東氏の本拠地だったお城です。安東氏の歴史は古く、前九年・後三年の役を戦った安倍貞任を祖先としています。それから延々と血脈を保ったとすると、転封はされたものの江戸時代まで大名として存続し、支配階級としての地位を保ち続けた稀有な家柄ということになります。
檜山城はそんな安東氏が15世紀から16世紀にかけて本拠としたお城ですが、安東氏一族間の争いなどもあってたびたび戦乱に巻き込まれます。戦国時代の末期、安東氏の家督を継いだ安東実季が若年だったことに付け込んだ一族が実季を檜山城に追い込んだというような一幕もあったようですが、実季はよく耐えて生き延び、やがて名乗りを秋田実季と改めて、三春城を本拠とする三春藩の秋田氏の祖となってゆきます。
さて、檜山城は広大な山林すべてが城塞化された、きわめて規模の大きいお城です。山上の主郭は切岸にとって守られ、腰曲輪には精巧な虎口が設けられて鉄壁の守りを固めています。東北のかなり北の方にあって、これだけ完成度の高い山城を築くに至った安東氏の実力はいかほどのものだったのでしょう。
現在、檜山城は近隣の大館跡、茶臼館跡とともに国史跡に指定されています。自動車・バイク以外でのアクセスは容易ではありませんが、ぜひ一度訪れてみて欲しいお城です。なお、近郊の浄明寺に残る薬医門は檜山城からの移築と伝えられ、寛永11(1634)年の建築であることがわかっています。





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