秋田城
あきたじょう

(秋田県秋田市)
最終更新日:2015.9.13

地図

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<2015.9.13記>
秋田市にある秋田城は、いわゆる城下町を伴う江戸時代のお城ではありません。県庁所在地の名を冠するお城ですが、このお城は古代城郭。いわゆるお城のイメージは皆無で、むしろ平城京などの都城に近い形をしています。
朱塗りの復元門の周辺では、中学生くらいの少年たちがゴムボールで野球をしていました。由緒正しき政庁の跡が、ただの公園として普通になじんでいる、不思議。肩の力が抜けた古代遺跡が、そこにありました。
やたらと広い「目抜き通り」の復元遺構が、いやでも目に付く遺跡でもありました。
Data
ランク -
門、壁(復元)
創築:天平5(733)年、大和朝廷
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秋田城は出羽国の政庁であり、同時にまた大和朝廷の北限を示す軍事拠点でもありました。出羽国が成立したのは大化の改新真っ只中の和銅年間だそうですが、最初の国府は今の庄内地域に存在したもののようです。その後、天平5(733)年に現在の秋田城の地に「出羽柵」が移され、やがてそこは「秋田城」と呼ばれるようになりました。秋田城には出羽国司とは別に国司級の役人が一人常駐し、「秋田城介」と呼ばれていました。戦国時代にこの秋田城介を名乗ったのが、江戸時代に秋田氏に改姓することとなる安東氏です。
秋田城は一時期国府としての役割も担いながら、8世紀から11世紀頃まで機能していたようですが、前九年・後三年の役を経てその機能を失うに至ったようです。
昭和14年に国史跡に指定され、以後断続的に発掘調査が行われています。現在復元されている礎石群や建物などは、秋田城の第一期の姿を示しているのだとか。東北の他の古代城柵が比較的正方形に近い平面プランを持つのに対し、秋田城は多賀城とともに不整形の平面プランを持っています。このあたり、何か理由があるものなのかどうか。私の知識の及ぶところではありません。





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