「大分県の近世城郭」

〜大分ミニオフ会に参加できなかった腹いせに文章だけオフ会に参加した時の作品(笑)〜

初稿公開日:2009.11.28

大分県一帯は、戦国大名の大友さんが鎌倉殿(源頼朝)の時代から延々と頑張っていた地域なので、いわゆる群雄割拠が起きなかった場所です。そうするとどういうことになるかというと、地域の歴史とはあまり関係のないところに、「どかん」と近世城郭が建つことになります。

今回訪城する可能性のある城郭のほとんどがそういういきさつで出来たお城で、わずかに臼杵城(大友さんの本城だった時期があります)と杵築城(大友さんの一族で有力家臣だった木付(きつき)さんのお城です)が、戦国時代までまともに遡れるお城ということになります。その他のお城、すなわち府内、佐伯、日出、岡の各城が出来上がったのは、すべて1593年から1603年までの10年間に収まっているようです。

ここで、各城の築城年代と築城者(主な人)を並べてみましょう。

杵築城:1593年 前田玄以(1599年細川忠興)
岡城:1593年 中川秀成
臼杵城:1597年 太田一吉(1600年稲葉貞通)
府内城:1597年 福原直高(1601年竹中重利)
佐伯城:1601年 毛利高政
日出城:1601年 木下延俊

1593年と1597年、それに1601年に集中します。1597年は国内でのメンバーチェンジで、1593年と1601年に意味があります。1593年は大友氏の改易、1601年は関ヶ原後の処置、ですね。たった8年ですが、1593年の配置転換は豊臣氏によって、1601年の配置転換は徳川氏によってなされている点が大きく異なります。ところが顔ぶれを見ると、豊臣氏が指名した顔ぶれにも、徳川氏が指名した顔ぶれにも、ずらっと織田・豊臣系の武将が並ぶのです。岡城の中川秀成は賤ヶ岳で戦死した中川清秀の子ですし、佐伯城の毛利高政はもともと美濃の森氏で、秀吉の落胤説まである人物、日出城の木下氏は言うまでもなく、秀吉の正室・北政所の実家です。臼杵城に入る稲葉貞通も「美濃三人衆」の出身で、早くから秀吉に仕えていました。いってみれば、「ばりばり」の豊臣系の人たちが、大友氏亡きこの豊後にまとめて送り込まれ、徳川氏もそれを追認して、中川、毛利、木下、稲葉の4家ともども明治までそのまま存続したということです。竹中氏も秀吉の片腕だった竹中半兵衛の一族ですから、長崎奉行になった時に悪さをしなければ(笑)、きっと明治まで存続したことでしょう。杵築城と府内城には、その後結局松平氏が入ってきます。

さて、お城そのものの話に戻ります。

日本のお城が大発展を遂げるのは1600年以降のことです。天下の名城・熊本城や姫路城、名古屋城、彦根城等は、みんな1600年以降に築城されています。そういう意味で、大分県内のお城は近世のお城の中ではちょっと古い部類に入ります。杵築城や臼杵城は、そんなこんなでとっても古めかしくて中途半端で、お城としてはやや物足りなく感じるかもしれません(岡城は時間をかけて作っていますのでちょっと例外かも)。逆に、佐伯城と日出城、それに工事が長引いた府内城は、築城ブームの真っ只中に作られていますから、近世城郭としての仕掛けが多くて面白いはずです。日出城の直線的な天守台も圧巻でしょうし、府内城の犬走りや本丸北東の帯曲輪(これ、絶対見てきてください。私は見逃しました)、一人ずつしか通れない佐伯城本丸の廊下橋等、楽しみは多いと思います。岡城の高石垣とかまぼこ型の石塀もよいですね。

ということで、時間がなくてじっくりとは推敲できませんでしたけれども、大分県の城郭の特徴について、総括的に書き記してみました。旅行の際の参考になさってください。





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